2016年07月07日

戦争の大義と大罪

毎年8月15日を迎える度に考えるんです。
あの無益な戦争はなんだったんろうかと。
国家間で争うのは避けたいと思う人がほとんどだとは思いますが、
人が組織の中で動くとなると、意志決定の念が一人歩きをし、
間違った方向へむかうという教訓は人類の歴史に、
数え切れないぐらい遺されています。
昭和天皇の手記がマッカーサーの部下であるホイットニーの文書により、
機密解除になり公開されましたが、裕仁氏自身が日本国民に対し、
こんなにも偏った見方をされていたとは想いもよりませんでした。
1945年東京大空襲で焼け野原になった光景を、
裕仁氏は見に行かれてはいます。しかし、
相手国への一撃による有利な終戦交渉を目論むあまり、
トルーマン大統領の降伏の打診や、
近衛首相からの早期の終戦の忠告にも耳をかさず、
広島に第二総軍司令部を構え、
一億総玉砕戦法に打ってでてしまった。
多くの若者が特別攻撃隊や人間魚雷などで海に散りました。
祖父は上司の将校の命令で226事件での反乱軍に参加。
昭和天皇の裏切り?により逆賊になり、
終生裕仁天皇と朝日新聞を憎んでいたそうです。
両者とも戦争の謝罪を未だにしてませんね。
勝つ見込みもなく、敵国への一撃も不可能な状況を迎え、
ナポレオンに心酔していた昭和天皇には、
多くの国民の犠牲をどう見ていたか、ホイットニー文書ではその考えが、
よく現れています。
瀬島龍三氏をはじめとする大本営は、天皇の絞首刑を強く望むソ連に対し、
60万のシベリア抑留を差し出すことで、
皇室の維持の働きかけのツールとしたという噂は、
本当なのかは知らない。
地方都市がほとんど空襲の目にあい、しなくてもいい沖縄戦や、
落とされなくても済んだ広島・長崎への、
原子爆弾の悲惨を招く原因にもなりました。
最高司令官の責任は余りにも重く、国民より皇室の保証と、
国体の擁護にこだわった裕仁氏の胸の内は、
いかばかりだったのか。
遅すぎた終戦の決断は正しかったのかどうか。
靖国神社に祀られていない多くの非戦闘員。
その犠牲者の霊を弔うにはどうしたらいいのか。
戦争の悲惨さと最高責任者の罪は未来永劫残っていきます。
posted by KURARIN at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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